きっと、よくなる! ストーリー

苦しかったり辛かったりした経験が、今の自分の幸せにつながっていませんか?

イメージ図

アメリカの新聞のアンケートで、90%以上の人が『人生で起こった最悪の出来事が、長い目で見ると、今の自分の幸せにつながっている』と答えました。

このエピソードから「きっと、よくなる!」シリーズがスタートしました。みなさんも、今までの人生を振り返ったとき、 その時は苦しかったり辛かったりした経験が、長い目で見た時に、今の自分の幸せにつながっていませんか?

イメージ図 シリーズ第1作「きっと、よくなる!」出版から3年、第2作目「きっと、よくなる!2」が刊行となりました。
その間に、みなさん自身が体験した、「きっと、よくなる!」ストーリーを教えて下さい。

※「ピンチをチャンスに」ストーリーの投稿は、
 この「きっと、よくなる!」ストーリーに移動となりました。(2010/11/1)

みんなのきっと良くなるストーリー

投稿日本のタイトル(著者等)/レビュー
2008/05/05 アメリカのリィさん ( 栃木県 女性 25才 ) 人生初の絶望そして復活!!
私は今まで本当に恵まれていて、苦労など一切したこと
がありませんでした。比較的、自分の望みは何でも叶え
させて貰っていました。高校卒業後、単身アメリカへ留
学。好きなだけ自分の学びたいことを勉強させてもらい
ました。それから3年後、大好きな私の母がこちらに越
してきて商売を始めました。その際も、こちらで出会っ
た皆様に助けられ全て順調に物事が運びました。それか
ら2年後の今年、4月、初めて人生の転換期を迎えること
になったのです。4月は私の誕生日で、3月から待ちわび
ていました。が、現実は理想とかけ離れていまし
た。。。4月前半、母が体調不良を訴えたのでお医者様
に連れて行くと、大腸癌と診断されました。アメリカで
母と私だけだったこともあり、急に悲しみ、孤独、そし
て恐怖を感じました。(日本は父も兄も居ますが、すぐ
にはこちらにこれないので。)更に、4月の中旬になる
と、母の店のほうが改装になる為色々な準備をしなけれ
ばならくなったり、学校の方もビザの関係上休学は無
理・・・ 更に信じられないことに、2年間一度も喧嘩
したことのない彼氏に別れを告げられてしまったので
す。はっきり言って絶望的でした。
泣いて、泣いて、泣きまくって、でも母の前では絶対悲
しい顔は見せたくない。だけど正直、とってもネガティ
ブな気持ちになりました。
日本に居る父に泣きながら電話をすると、
「人間は生きているから問題があるんだよ、死んでし
まったら何も無い。だから問題があるって言うことは生
きている証拠。素晴らしいじゃないか!リィはとてもい
い経験を今しているんだよ。」と言われました。
その言葉を聞いた瞬間、そっか!確かに。と、納得させ
られました。母が癌だからといって、今すぐいなくなる
訳でもないし、お店や学校の事が大変でもそれは将来必
ず私の為になる。彼氏のことに関しては、タイミングが
大切。もし、2人が結ばれるのならばいずれそうなる
し。私は自分がいつも信じていた「この世に不可能は無
い」ということを忘れてしまっていたのです。
5月に入り、今は先月とは比べ物にならないくらい毎日
が充実しています。母も持ち前の強さで病気と真正面か
ら向き合っていますし、私も最善をつくすようにしてい
ます。仕事のほうも学業の方も以前以上に良い成績が上
がり、信じられないほどです。
これからの人生色んなことが起こると思いますが、
自分の考え方次第で、その出来事が問題になったり、又
はチャンスになったりするのでしょうね。是非、皆様と
一緒に「きっと、よくなる!」と信じて楽しく元気に生
きていこうと思います。
2008/04/19 希望の収入を得るようになりたいさん ( 鹿児島県 女性 41才 ) 最近、家を改装しました
とうとう家のペンキ塗りをしました。3年目にして、やっと実現しまし
た。
 ペンキを塗るだけのことなのに、夫がなかなかうんと言わず、やっ

できたのです。

 簡単にできることも人の中だと、スムーズにいかないこともありま
す。

 それで、縁起かついで、風水的に開運インテリアでもと実行してい
ます。

  それで、昨日、今日、とうとう銀行に文句いいました。

 言い忘れましたが、アメリカに住んでいます。

  勝ってにクレジットカードの使用をとめられたり(預金があるの
に)

  説明が不十分でリスクについて3年がかりでやっと全部理解した
り、(きいても一回ずつ、リンクしたことは言わないので、知らない
手数料が発生してから尋ねるという感じです)

  それらについて、とうとう文句を言ってやりました。

  手紙で書きました。

  クレジットカードのセクションとも電話で3回も話しました。

  私が風水グッズをマレーシアや家具をアメリカの卸売りサイトで

  かうことのなにが気に入らないのか。

  更に、こんな不説明の手数料を簡単にとるようなことをしている
から、ローンに苦しむ人が増えるのだ、決してアメリカ人が

 使いすぎで、ばかなんじゃない、ローン、銀行のポリシーが

 最初から悪いわけだ、と思ったので、新聞のコメント欄にも

 なぜ、ローンでお金がなくなっていくのか、その理由の一つとし
て、
 書いてやりました。


   少しは、世の中の、アメリカの消費者の役に立つと思います。

  日本では、カードつかって、銀行が手数料なんてとらないですか
ら。年会費はともかく。

  勝ってに支払いを止めるのは、お金がないとき、借金が払われて
いない、入金が無い時でしょう?

  貯金が前より増えていて、前は使えたカードが使えないのは、ど
うでしょう。

  日本にも口座を持っていられたらいいのに、と思います。

  不便でしょうがないです。

  日本の銀行法を外国の住所のものにも口座所持可能と変えてほし
いのです。


  きっと、きっとよくなる、と思っています。
2008/04/03 鈴木達幸さん ( 栃木県 男性 36才 ) どんな人でもここまで来れるよ
私は、中学時代から「社長になりたい」。「経営者に
なりたい」。と夢見て過ごしてきました。中学高校専
門学校時代は、何をすれば良いのかよりも、とにかく
純粋に「女の子にモテたい…」「陸上で優秀な成績を
残したい…」「お金持ちになりたい…」「資格に合格
したい…」など練習したり色々考えたり行動したりし
て過ごしていたことを時々思い出します。今になって
考えると迷いとかよりも純粋に自分がしたい事をして
いた様にも思います。結果はどうだったかと言うと納
得いく結果は得られませんでしたが、楽しい思い出で
す。
専門学校を卒業してからは、職を転々とし何もかも上
手くいかずに「どうして自分はこんな目に会うのだろ
う…」と思ったし、両親ともうまくいかず10万の現金
を握りしめて家出同然に宇都宮に行きました。アパー
トを借りるにも保証人になってくれる人もおらず、車
の中で半年間日払いの引越しのアルバイトをしながら
生活していました。とにかく毎日、食べていく為に通
常では考えられない様なスーパーとか公共施設の電気
を使ってご飯を炊いたり、お湯を沸かしたり、おかず
を作ったして生活していましたし、寝床は河川敷の橋
の下に車を止めて車の中で半年間近く過ごしていたこ
とを思い出します。また、消費者金融に200万の借金返
済もあり周りの方にも迷惑掛けっ放しの毎日でした。
そんな私でもどうにか良くなりたいと言う思いで送電
線の鉄塔工に就職し、朝6時から夜7時まで死に物狂い
で働きながら200万返済しましたが…、仕事中に不慮の
事故で入院とリハビリで6ヶ月間自宅療養した時代もあ
りました。
その時、私の心の中で家族、友人、その他、周りの人
たちに支えられて生きていると言う感謝の心が芽生え
その頃から「何か世の中の困っている人たちに恩返し
がしたい」と思い医療関係の会社に就職しながら自分
の夢であった会社経営の為、良くなる為のセミナー、
経営学、自己啓発の本、自分を知るための占いの本だ
ったりと自分が良くなる為の本を読みあさりました。
最終的に自分の思いや気持ち次第でどうにでもなるこ
とを学び、それから10年近く医療と福祉の現場で働き
ながら夢は実現するものきっと良くなると信じて日々
過ごして来ても、色々な誘惑や罠やリストラや会社の
不祥事など様々な出来事が起こりましたが、その出来
事が今になっては感謝しています。それがあったから
今があると思う毎日です。
晴れて去年8月に会社を設立し夜間に特化した訪問介護
事業所を思いついた次第です。
まだ営業開始して6ヶ月もたっていないので経営的に
は赤字ではありますが…きっと良くなると信じてこれ
からもワクワクして遣って行きたいと思います。

2008/02/03 雪さん ( 東京都 女性 46才 ) ひとつの道が消えると、必ずもうひとつの道が現れる
「ひとつの道が消えると、必ずもうひとつの道が現れる
ものです。」

今は、ちょうどその時期だと感じています。約3年一緒
に働いた勤務したイギリス人の上司が1月末で会社を去
りました。彼と働いている間も、私はずっと転職活動を
続けており、いくつかオファーもありましたが、最終的
にはどこともご縁がありませんでした。今思うに、この
3年間は「その上司と一緒に今の会社で仕事をしておく
のが私にとって一番良い選択」という天の声が、転職を
ストップさせていたのでしょう。

しかし、この週末、まず頭をよぎったのは、「今こそ、
別の道を選ぶ最高のタイミングだ!」という直感です。
実は、約2週間前に面接を受けて返事を待っている会社
があるのですが、「先方からの返事が遅い」とイライラ
していました。しかし、これは天の声が「私に別の道を
選ぶ最高のタイミング」が来るのを待ってくれているの
ではないか」と思えるようになりました。そう思うと、
「まぁ、焦らず返事を待っておこう」というゆったりし
た気持になります。

考えてみれば、過去数回転職したときも、例外なく「ひ
とつの道が消えると、必ずもうひとつの道が現れ」、
「すべては絶妙のタイミングで起こる」という原則どお
りに動いていました。どの転職活動も、落ち込み、イラ
イラし、思うようにならずに大爆発していたにもかかわ
らず、いずれも結果的には希望の仕事に就き、失業手当
を受けることも一度も無く、自分に合った質素な生活を
続けることができています。

ということは、今回も「きっと、よくなる!」のでしょ
う(^ ^) 結果を楽しみにしておきます。
2008/01/26 とうもり ひかるさん ( 滋賀県 男性 36才 ) ヘイヘイ♪ボンボン♪<波乱万丈!
『死ぬしかない!』『死んで詫びたい!』そんなことを
思っていた僕が、なんだか懐かしい・・・
なんて、思えるようなぐらい今、活き活きと生きてる!

僕は料理人としてずっと生きてきて、ようやく念願の自
分の城を手にすることができました。
そうです、独立開業したって訳です。
オープン当初は、オープン景気も重なってか、順調に経
営をしていられました、というか、お客様が毎日来てく
れるもんで、すっかり安心してました。
ところが、だんだんとお客様の数が少なくなって行って
る様な・・・
じゃなかったんですね。オープン景気から落ち着いたと
言った方が正解かもしれません。
でも、職人が経営すると陥る罠に、見事にはまってしま
ってる事は、この時点で自分自身気付いてませんでし
た。
美味しいものを作ってれば、お客様は来てくれるし、ど
んどん増えていく!ってね。
しかし、商売はそんなに甘いもんじゃありませんでし
た。
その次の、手を打つことなく、手をこまねいてるうちに
資金がそこをつき、運転できなくなるハメに・・・
お金を借りる当てもなく、仕入れ業者には、入金を遅ら
せてもらうなど、毎日が必死な経営に・・・
家にも、生活費を入れられなくなっていき、とうとう決
断をくだしたときには、時すでに遅しみたいな・・・

夜逃げ同然に、店を無償で手放し、お金になりそうな什
器備品を、ありったけ車に詰め込み、大家さんに見つか
らないように店をあとにしたのも、今では良い思いでに
なってます。

お店をあとにした私は、家族の生活のため、昔、お世話
になった知人により、アルバイトという形で、雪山のス
キー場へ、家族を残して出稼ぎに行きました。
『ごめんな』ばっかりを家族に言って雪山に到着したん
です。

ですが、ここで思わぬ光景を見たんです。

僕よりも、借金があり、僕よりも生活が厳しい!!
そんな、雪山の地元のおばちゃんたちが何人も働いてい
て、しかも、ご主人たちは、僕とは反対に雪の無いとこ
ろへ出稼ぎに出られてるとか。

しかし、このおばちゃんたちは、みんなが、僕よりも明
るい!そして何より、初対面の僕に対して、とても優し
く温かく迎えてくれたんです。

『なんで、こんな辛い生活やのに、そんなに人に優しく
温かくしていられんですか?』
僕は、失礼かと思いましたが、聞いてしまいました。

おばちゃんたちは、僕の顔を見つめて、にっこりと笑い
『生きてるからだよ(^^)』って。

僕は、この一言を聞いて、何か自分の中で張り詰めてい
たものが弾けて、涙が溢れかえりました。

その日の日記には、こう記してます。
『まずは、生きてることに感謝しよう!!』って・・・

それから、何か吹っ切れたように、仕事に打ち込み、家
族に給料のすべてを仕送り、休みを取らずに働き続けま
した。

人間、やっぱり休息は必要ですね。
案の定、倒れてしまいました。
最初は、高熱が出たのでインフルエンザと思い、病院へ
行きましたが、違うようでした。
ところが、4日ほど高熱が続き、脱水症状で歩くのもお
ぼつかなくなってきたので、おばちゃんたちが心配して
もう一度、病院へ連れて行ってくれたんです。

その日の担当医は、たまたまその病院の院長先生。
前のカルテをみて、僕から症状を聞いただけで、『これ
は、髄膜炎だよ!』『すぐに入院しなさい!』『あと、
1日遅かったら、死んでたよ!』『絶対安静だからね』

その言葉に、僕は心の中で『生きててよかった・・・』
と思うのと同時に、遠く離れた家族に『ごめん』とうい
う申し訳なさでいっぱいになってました。

家族に連絡が入り、電話をかけてきてくれましたが、雪
山の厳しい環境のところへ来てもらうわけにも行かず、
完全看護なので、一人で何とかすることに・・・

入院してしばらくしたら、おばちゃんたちが見舞いに来
てくれました。
ところが、おばちゃんたちは、冴えない様子だったので
僕は、何かあったのかと尋ねました。
すると、おばちゃんたちから出た言葉は意外なものだっ
たのです。
『ゴメンネ。私たちの一言が、かえってあなたを苦しめ
る事になったわね・・・』と。

僕は、また涙をこらえきれずに、大泣きしてました。

このおばちゃんたちは、どこまで温かいんだろう!って

そのあと、またおばちゃんから、素晴らしい言葉が出て
きたんです。

『生きてる事は感謝しないといけない、でもね、それだ
けじゃ生きていけない』
『子どものころは、あなたのお母さんが病気の面倒を見
てくれてたはず』
『でもね、これからは自分自身が生きていくために、も
っと健康に気を使いなさい』
『この世に産んでくれたお母さんのためにも』
『あなたを取り巻く、たくさんの人のためにも』
『人生には、いろいろな事が起こる。でもね、平平凡凡
より波乱万丈の方が楽しいのよ(^^)』
『だって、その方がたくさん学べるでしょ!』
『生きてる!って感じがするじゃない(^^)』

僕は、素直にこの言葉を聴き入れ、自分なりに解釈した
ことは言うまでもないと思います。

このあと、雪のシーズンが済み、家族の住むふるさとに
帰ってきたときには、すごく前向きな、そして、穏やか
な心を持つ事ができた自分が居ました。

その後、違うお店の雇われ料理長の話が舞い降りてき
て、そこからそのお店をたった半年で美味しい繁盛店に
させる事ができました。
必然的に給料も増え、今だに借金は抱えていますが、当
時の凹んだ僕の姿はなく、毎日、すべてに感謝しなが
ら、とても楽しい日々を暮しています。

なおかつ、本業の空いた時間に、たくさんの書籍を読
み、そして、新しい夢に向って、やりたい!と思ったこ
とを失敗を恐れずに、挑戦し続けています。

本田健さんの著書の、どこかのフレーズにあった
『やる人生!!』を自己信念として、後悔しないで、波
乱万丈に生きていけたら最高!!

長々とありがとうございます。 感謝(^^)/

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