アメリカの新聞のアンケートで、90%以上の人が『人生で起こった最悪の出来事が、長い目で見ると、今の自分の幸せにつながっている』と答えました。
このエピソードから「きっと、よくなる!」シリーズがスタートしました。みなさんも、今までの人生を振り返ったとき、 その時は苦しかったり辛かったりした経験が、長い目で見た時に、今の自分の幸せにつながっていませんか?
シリーズ第1作「きっと、よくなる!」出版から3年、第2作目「きっと、よくなる!2」が刊行となりました。
その間に、みなさん自身が体験した、「きっと、よくなる!」ストーリーを教えて下さい。
※「ピンチをチャンスに」ストーリーの投稿は、
この「きっと、よくなる!」ストーリーに移動となりました。(2010/11/1)
投稿日 | 本のタイトル(著者等)/レビュー |
---|---|
2011/03/13 億(はるか)さん ( 青森県 女性 18才 ) |
失ったひと。
中学校一年生の五月の連休。わたしは、遠くに住む入 院中の祖父のお見舞いに行きました。元気な頃と比べ 物にならないくらい変わり果てた祖父の姿に、ひどく ショックを受けました。久しぶりに会ったのに、大好 きな祖父に何も言えませんでした。 連休が終わり、学校が始まりました。 小学生の頃から仲の良かった、先輩が交通事故で亡く なりました。 その先輩には連休に入る前に、同じ部活に入ったこと を伝えに、挨拶をしようと思っていましたが、連休明 けも会える、そう思って何も言いませんでした。 夏休み。祖父が亡くなりました。 続く不幸と悲しみに暮れる毎日。 何も言わなかった自分にすごく腹が立ちました。 中学校三年生の四月 小学校卒業と共にお別れした友人が、病気で亡くなり ました。 振り返ったら、わたしの周りでは、多くの方が亡くな っていました。 毎年、毎年、法事が重なりました。 何度も、なきました。 生きているものは、いつかなくなります。 わかっていたようで、何もわかっていなかった自分に 気がつきました。 当たり前の毎日なんて、ないのだと思います。 当たり前に、明日があるなんて、ないと思います。 出会えたこと、今生きていること、すべてがすばらし いことなのです。 わたしが明日も生きているなんて誰も保障できませ ん。 それに気がついたのは、恥ずかしながら本当に最近で す。 悲しみが消えることは、無いかもしれません。 たくさんひとを失いました。 でも、得られることは多かったと思います。 今、自分に出来ることはなんだろう 常に考えるようになりました。 いま、この文章を書いているのは3月13日日曜日 青森県八戸市に住んでいるわたしですが、地震の影響 で今朝まで停電していました。 やっと復旧した電気。 わたしは今、ツイッターで地震の情報を拡散させた り、募金をしています。それが、いまのわたしに出来 る唯一のことだからです。 今まで、たくさん、悲しいことがありました。 忘れてしまいたいこともたくさんあります。 でも。それらを乗り越えて 今、生きているわたしがいます。 きっと、良くなります。 あきらめずに、今を懸命に生きてください。 素敵な明日を迎えに行ってください。 どんなできごとからも。得るものはあると思います。 時間がないので長くなってしまいました。 わかりにくい文章でごめんなさい。 どうか、少しでも多くの方が無事でいてくれますよう に。 ありがとうございました。 |
2011/03/01 いろいろさん ( 鹿児島県 女性 44才 ) |
よくするまでやる
健サン、何度か私の下手な文章をここで掲載してくれてありがとう
ございました。アメリカから日本にもどってしまったので、がっか りしました。サンフランシスコにも講演に来るのだと思っていたか らです。(本当にかなりがっかりしたのでした)でも立ち直ってき ました。アメリカのどこかで頑張っている日本人がいると思うと、 気持ちの張り合いになって良かったのですが、多くの人がたよりす ぎるので、きっと健サンも重かったのかも知れませんね。 そこで、私はもうちょっと強くなれそうなので、ここに書きにきま した。相変わらず叫んでいることもありますが、叫べるだけいいで す。(笑)叫べるほど元気であります。 今、仕事でうまく行きかけたものが、振り出しにもどりました。 家を売っていたのですが、 買う意思を固めて、契約まで成立した後に、 「やっぱりやめた」ということになり、 振り出しにもどってしまいました。 仲介の業者もがっかりしたことでしょう。 今度はうまく行くように、それも せっかくきれいに改装して補強もしているのですから、 値段が上がって売れるといいです。 そのストリートは、値段が上がってうれた家が 昨年あったのです。 買い手が数名ついたので、オークションで上がった感じ。 私たちも是非そうなって早めに喜んで買っていただけるとうれ しいなと思っています。 健サンも、また新たな展望に向かって頑張っていることでしょ うね。 また面白い話し書いてくださいね。 失敗や計画断念からどのようになっていったか、 元気になっていたか、 などが、読むほうにとっては面白いです。 あ、どっかのエッセイで読みましたけれど、 我が家も喧嘩しますよ。 不安になると、全部否定的に考えてしまうもので、 夫が不安だと私が元気、私が不安だと夫が元気、 ということで、励ますというよりは、 わめきあっています。 が、元気であります。 仲も良いです。 |
2011/01/28 ライトワーカーを目指す奥さんさんさん ( 福岡県 女性 44才 ) |
新たな一歩
以前乳がんが発覚、抗がん治療をしますという投稿を
のせていただきました。その後の展開をご報告したい と思います。 抗がん剤を終え、一年間別の薬で3週間に一度点滴をし ていましたが、それも終わりました。 そしてそれとほぼ同時期、がん治療中からお世話にな っていた小さな個人事務所を辞めました。 私のやりたい仕事ではないと思ったのと、お金がなく なるという恐れを手放して、カラダと気持ちを自由に したかったからです。 その仕事を辞める、と決めたとたん、不思議と新しい 仕事の依頼がいくつかありました。 それも、今までの収入よりずっと多くいただけそうな のです。 私を必要としてくださる方がいる、そして私もそれが 喜びとなるなら、こんな幸せなことはありません! 必要としてくださる方の気持ちに応えるべく、 いろいろなことを勉強していきたいと思います。 恐れを手放すって、本当にすごいことなんですね。 |
2010/07/14 Nori大好きさんさん ( 愛知県 男性 47才 ) |
倒産したら肩の荷が下りちゃった。
私は自営の長男坊として生まれました。
50年近く前の話です。3代目の私が誕生した時に は、やっと出来た男の子ということもあり、創業者で ある祖父は大変な喜びようだったようです。 その後、私が歩けるようになると何処へ行くにも連れ て行ってくれたそうです。 その時、周囲の人から「良い跡取りさんが出来ました ね」と声を掛けられると、本当にうれしくしていたよ うです。 実を言うと、私自身はそのやり取りや光景は覚えてい ません。なぜなら、祖父は私が3歳の時に他界してい るからです。 三つ子の魂ではないですが、幼児期の洗脳とも言え る、これらの言葉の投げかけは、私の中で自然と「跡 取り」の役割を与え続けました。 学生時代を終え、いよいよ就職の年齢となった時も、 何の迷いもなく家業を継ぎました。 ただ今でも、はっきりと言えるのは家業の内容は決し て嫌いではなく、どちらかと言えば誇りにすら思って いました。 しかし、一方で責任感なのか、自分でも得体のしれな い重みを感じていたのも事実です。 バブルが崩壊し、家内工業に近い自営業は、得意先の 計画倒産にも巻き込まれ、私が33歳の時、店をたた むこととなりました。 実際に多くの方にご迷惑をかけました。また、その決 断をするまでには精一杯の努力もしてきたつもりで す。 倒産と決めるまでは不安で押しつぶされそうな気持ち でした。時間だけはたくさんあるため、般若心経を読 んだり、ただただ不安から逃れたい気持ちでいっぱい の毎日でした。 そして、決断の日。 そこに本当に不思議な気持ちが表れたのです。 小さい頃から背負ってきたもの。 「跡取り息子の○○」 それが、ふっと消えた時、初めて唯の○○になれまし た。 今でも、そうして荷を下ろすことを許して下さり、や り直す機会を与えてくれた方々に感謝の念はたえませ ん。 ただ、自分自身でも自分をも許せたのかな?とも思っ ています。 今は、生まれて初めての就職活動から、その会社でト ップの幹部社員という立場まで行かせて頂きました。 このポジションに来るまでも、本当に多くの人の支え がありました。 その中で、ほんの少しだけ自分を褒めてやるならば、 あの決断した日、それまで不安で不安で仕方がなかっ た日を捨てて、これからどんな仕事・どんな生活をし ようとも『忙しい=誰かに求められている。』と思え ば「きっと、よくなる!」と思い続けられたことだと 思います。 今は、これまでの経験や自らが学んだことを、若い人 たちのこれからに役立てばと、社内セミナーや社内メ ルマガの発行などを楽しみながら進めています。 いつの日か、ビジネスとなり、より多くの方のお役に 立てればと夢を持って、毎日楽しく過ごしています。 |
2010/07/12 Sさん ( 東京都 男性 27才 ) |
私は幼いときから吃り症です。自分を守るため本来の自分より強いと
いうイメージを周りに見せてきました。うまく話せない時は、別にそ んなことどうでもいい、興味ない、無視したふりなどをしてごまかし てきました。あいさつ、自己紹介すら吃りの恐怖からしないこともあ りました。それで周りからは不良に間違えられたり、友達も不良みた いな友達が多くいました。 でもそれは本当の自分ではない。。 そして学生時代感じていた社会に吃りというハンデを持って出るとい う恐怖は今でも地獄のようです。就職活動の時は夜な夜な悔し泣きを しました。。 なんとか就職を決め、働き出しても学生時代のようにごまかしながら やっていました。しかも自分に向いていないだろう仕事をです。 更に不幸は続きます。。大きな病気にかかりかけ手術、長年付き合っ ていた彼女に自分のふがいなさから結婚を切り出せず別れ、会社も辞 める事にもなりました。 ここで職場の先輩から言われた お前人生に負けてるよ やるしかないと決心しました 周りに合わせられないなら自分で仕組みを作る。まずは本当の自分を 見つめ直すため、誰一人自分を知らないところに行き、そこで素の自 分でどれだけの人との繋がりが出来ていくか。。 そこで本田さんの本と出会い渡米を決意しました。向こうは発言され ないと理解されないところ。だからどうせ英語が未熟なら吃っても関 係ない、どんどんいってやれ! そして帰国する時、僕は本来の自分を見つけました。そしてみんなに 受け入れられました。送ってくれたみんなは泣き、僕も機内でフライ トの時間ずっと泣いていました。 それは僕が決意していたこと、リーダーになるっということが出来て いたからです。みんな僕が企画したイベントに喜んで参加してくれ、 兄貴のように慕ってくれていたそうです。それを手紙で読んだ時、、 お互いに気持ちが通じ合って感謝し合っている。。僕は何十人もの人 生の友も手に入れました。本当の自分を慕う。 今は独立のため勉強してます。僕と同じハンデを持つ人、目に見えな いハンデを持つ苦しさ。よくわかります。いっそのこと目に見えるハ ンデを持っていれば始めから同情され楽なのに、、わかります。 でもそれは逃げの考え 自分次第で きっと、よくなる |