アメリカの新聞のアンケートで、90%以上の人が『人生で起こった最悪の出来事が、長い目で見ると、今の自分の幸せにつながっている』と答えました。
このエピソードから「きっと、よくなる!」シリーズがスタートしました。みなさんも、今までの人生を振り返ったとき、 その時は苦しかったり辛かったりした経験が、長い目で見た時に、今の自分の幸せにつながっていませんか?
シリーズ第1作「きっと、よくなる!」出版から3年、第2作目「きっと、よくなる!2」が刊行となりました。
その間に、みなさん自身が体験した、「きっと、よくなる!」ストーリーを教えて下さい。
※「ピンチをチャンスに」ストーリーの投稿は、
この「きっと、よくなる!」ストーリーに移動となりました。(2010/11/1)
投稿日 | 本のタイトル(著者等)/レビュー |
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2007/12/27 松谷一広さん ( 大阪府 男性 33才 ) |
きっと、よくなる→よくなりました!
こんにちは!以前は運送ドライバーでしたが、健さん、
アイウエオフィスのみなさまのおかげで、現在作曲家の 卵の松谷(まつたに)です。クリスマス前に、以前配達 先としてお世話になっていた美容室の社長あてに、「き っとよくなる2」の小冊子と自作の1stアルバムCDを 添えて贈りました。社長は、私のことはすでに忘れてい ましたが(笑)、突然届いた本とCDに感動し、心が温 まったという感謝のメールを頂きました。実は、経営が 行き詰まり、どうしようと悩んでいた矢先の出来事だっ たようで、健さんの言葉が一つ一つ、心に染み込んでい ったとおっしゃっていました。 そして、また、新たなる一歩を踏み出そうと決心された そうです。 ペイフォワードが出来たうれしさと、タイミングの良さ に私自身、驚いています。 そして、もう、すでに、よくなりつつあることに心より 感謝したいと思います。 ありがとうございました。 |
2007/12/20 789JUNさん ( 千葉県 男性 30才 ) |
もぐれば、必ず浮いてくる!
僕は元来楽天的な性格なのか、単なる逃避なのか、あ
まり深く物事を考えたり、自分について考えたりする ことがありませんでした。 しかし、考えてみると、人間関係ですごく悩みだすと どうにも無視するわけにもいかず、「なせ?」と「ど うしたら?」という疑問が知的好奇心を刺激してたく さんの本や映画、セミナー、そして人との出逢いを生 んできました。 また、体調がすぐれない時や無職になった時期などに も、普段なら絶対に出逢うことのなかっただろう本や 世界にめぐり逢えた!なんてことがたくさんありまし た。 ほとんど、人生の節目節目で落ち込んだり、絶望的な 状態になった時こそが、実は今の人生の基礎をつくり あげてくれている充電期間だったと思えます。 今では、自分の人生が社会的にみて、ひどくミジメな 状態だと感じられる時にも、自分自身にとっては今ま で以上に素晴らしい人生にするためのありがたいサイ ンがやってきた!とウキウキしちゃいます(笑) 海と一緒で、人生の中へでも、自分の心の中へでも、 深くもぐればもぐっただけ、苦しいけど、必ず浮いて きます! ようやく息継ぎできた、その時の空気や太陽を存分に 味わうことを楽しみにしながら、もぐった時にはたっ ぷりと時間をかけて海底を見つめ直すのもいいかなと 考えています。 |
2007/12/19 MFさん ( 愛媛県 男性 29才 ) |
病気だからこそ
私は、生まれもった病気のおかげで、とても健康的な
生活を送れています。 病気が原因の一つでいじめにあい、死にたいって思う ことがありましたし、症状や治療に長く苦労してきま した。 まだ完治はしていませんが、病気をコントロールする すべを学び、最近ではかなり楽になりました。 病気であるからこそできた経験や出会いが私の財産で す。 この学びや経験は多くの人たちと分かち合いたいと思 っています。 両親は病気に産んでしまったとまだ負い目があるよう だけど、私は感謝しています。 父さん、母さん、ありがとう! |
2007/12/19 かずさん ( 山形県 男性 34才 ) |
一瞬先は光
私はコンピュータシステムの開発、導入支援をして
いるシステムエンジニアです。 入社当初から社長の期待を受け、その期待にずっと 応えてきました。 ただ、それは私が優秀だったからではなく、 経験を積むに従って、慣れた仕事だけをうまく こなしていたに過ぎませんでした。 難しそうな仕事は、できるだけ他の社員へ割り当て られるように働きかけたりしていました。 ですので、時折失敗はしながらも、自分でリカバリ 可能なレベルで無難に仕事をこなしていました。 ●転機● そんな私に、入社8年目で人生の大きな転機が 訪れました。 製造業向けの仕事が会社の大きな柱になりつつ あった時期で、そのプロジェクトの一つを私が 担当することになりました。 私は本当に焦りました。。。 上記のとおり、周りからの評価とは裏腹に、 実力の程は本当にお粗末なものだったからです。 運悪く(今考えれば運よくですが)、 私以外に空いている人がいないという状況で、 とうとう来るべき時が来てしまったか といった心境でした。 そんな状況から始まったプロジェクトでしたが、 とにかく悲惨という言葉がぴったりの状況でした。 ●地獄のようなプロジェクトの始まり● ★お客様との打ち合わせのための資料が作れない。 ★お客様と打ち合わせにならない。 ★やっと作り上げた設計書が矛盾だらけ。 こんなSEが作ったシステムがまともに動くわけが ありません(笑) 今稼働しているのが奇跡のようです。 (お客様には本当に申し訳ない気持ちです。。。) ●お客様、上司、社員からの総攻撃● お客様から納期遅延と品質へのクレームの嵐、 上司からは納期への多大なプレッシャーの数々、 プロジェクトメンバーからは仕様が出ない! 矛盾している! など容赦のない指摘の嵐、 睡眠時間1~2時間の休日返上状態が3か月ほど 続いたあたりから、人と話をするのが本当に恐ろしく なってきました。 睡眠不足は確かに辛いのでしたが、 お客様からも社員からも責められない時間帯である 深夜の時間だけが唯一安心できる時間でした。 ただ、それも束の間であって、明け方が近づいてくる に従って、不安に押しつぶされ気が狂いそうになる・・・ こんな日がいつまでも続くわけもなく、 とうとうXデーがやってきました。 ●Xデーの到来● 数々の社員が当社を去っていき、何度か引き止めた こともありましたが、今度はとうとう私が去る側の 立場になりました。 プロジェクトが奇跡的(笑)に少しずつ落ち着き始め たころを見計らって、この仕事を最後の仕事にさせて もらうよう上司に願い出ました。 その日に開催された会議では、大変な大騒ぎになった らしいです。 まさか私が辞めるとは幹部社員の誰もが思ってもいな かったらしく、数日後に社長から呼び出されました。 私も中途半端な覚悟で言い出したわけではありません ので、社長のどんな引き止めにも応じませんでした。 飲食店を始めるという、次のアクションも建前上は 決めていました。 社長が引き止めるのを諦めるのを、ただひたすらに 待ち続けました。 そんな覚悟を社長も察したのか、最後にこんな一言 を発したのです。 この一言に、私は大きな衝撃を受けたのです。 ●信じられない社長の一言● 「そうか、分かった。でも飲食店をやるっていうん なら、資金がいるだろう? 俺も一緒に銀行回りしてやるから。」 信じられない言葉でした。 耳を疑うとはこういうことを言うのでしょう。 社長がこんなにも私の事を大切に想ってくれていた ことに、この一言で初めて気がついたのです。 それからは、私の頭の中は後悔と罪悪感が一気に押し 寄せてきて、泣きながら心の中で社長に何度も何度も 謝っていました。 私は社長室を出るとき、ある決意をしました。 どんなにみっともなくとも、恥ずかしくともいい、 もう一度やり直させてもらおう。 ここからは、もう本当に笑い話にしかなりませんが、 前言撤回するタイミングがいつがいいのかを真剣に 考えました。 早すぎず、遅すぎず、絶妙なタイミングは2週間! と勝手に判断し、 2週間後に社長に頭を下げてお願いしました。 「申し訳ありません!もう一度やらせてください!」 仕事を続けるにしても、この先どうしたらよいのかは 全く分かりませんでしたが、逃げるような辞め方だけ は二度としないと固く決意しての再出発です。 ★★★ もう少し話は続きます ★★★ その後、会社である研修の案内がありました。 当社は、ソフトウェア開発会社としては珍しく、 人間教育に重点を置いた会社で、しかも強制参加は 原則としてしない方針を立てています。 この研修も人間教育に主体を置いたものでした。 研修内容は極秘で、帰ってきた社員は異様なくらい モチベーションが上がっていて、 他の社員からは不気味がられている研修でした。 ですが、社長が積極的に勧めている研修ですから、 私はこの研修に賭けてみることにしました。 自分がもう一度リーダーとして本当にやっていける のかどうかを試してみたかったのです。 ●人生最大の衝撃● この研修との出会いが、その後の私の人生を大きく 変えることになりました。 (この出会いのきっかけはもちろん社長であり、 社長との出会いに心の底から感謝しています。) この研修で気がついたのは、 ・仕事ができないのは能力がないからだと責任転嫁 し、努力していなかった自分の怠慢さ ・他の人と協力して成果を創り上げることの大切さ ・他の人と協力しながら創り上げた成果は、 自分一人で達成するよりもはるかに嬉しいこと ・笑顔と感謝、人との出会いが人生を豊かに、 素晴らしいものに変えてくれること そして何よりも、私には十分にリーダーとしての資質 があることに気がつきました。 もちろん、私だけでなく、誰にでもその資質はあり、 そうなりたい、そうなるんだと自分自身が決断するか どうかだけなのだということが分ったのです。 ★★★ それから2年半が経過して・・・ ★★★ 人との出会いのすばらしさに気がついてからは、自分 から積極的に社外で交流を図るようになりました。 以前では考えられないような出会いがあり、出会いが 人生を変えるという言葉の意味が、 少しずつ分り始めてきました。 本当に出会いたいと心から願えば、たとえ著名人で あってもそれは叶うということも分かりました。 (今会いたいと願っている方の一人が本田健さん!) そして、学ぶことに貪欲になりました。 以前は、能力を補うための苦痛な勉強でしたが、 今は能力を伸ばすための楽しい勉強に変わりました。 出会った方々に、以前の私は人と関わることが本当に 怖かった時期があったんですと言っても、 ほとんど信じてもらえません。 ただ、本当に変わったのかというと、実は心の中に その恐怖心は抱えたままだったりします。 でも、以前と大きく異なっているのは、 人と関わる楽しさ、すばらしさがその感情をはるかに 上回っているだけなのです。 よい人間関係なしには人生の真の幸福はあり得ない、 心からそう実感しています。 ★★★ 最後に ★★★ 地獄のようなプロジェクト開発の経験時には、それが 好転するとはとても思えませんでした。 でも、そこから逃げ出して会社を辞めていたら、私の 人生はそれこそ暗転していたに違いありません。 きちんと現状に向き合う覚悟を決めたときから少しず つ人生が好転し、仕事ではまだまだ苦労しながらも、 色々な方々のおかげで幸福な人生を送ることができて います。 今なら、人生は『きっと、よくなる!』という事を、 心から信じることができます。 一瞬先は闇ではなく、光なのだと。 私の座右の銘としてお気に入りの言葉を添えて、 最後とさせていただきます。 「求めるものが変われば、出会いが変わる。 出会いが変われば、人生が変わる」 最後まで読んでいただきまして、本当にありがとう ございました。 心より感謝いたします。 |
2007/12/18 F・Sさん ( 広島県 男性 38才 ) |
貧乏からの脱出宣言
私は物心ついたころから、親がお金に困っていることに気
づいていました。自分は絶対親のようにはならないぞと思 っていたのですが、気がつけば親のようになっていたので す。なんと大学を卒業し、就職した時から貧乏なのです。 そして15年間相変わらずの貧乏にどうしても終止符を打 ちたいと思ったころ『きっとよくなる1』に出会ったので す。目から鱗を落としながら、一気に読んでいったのを思 い出します。それから3年。今の状況は昔のまま・・。本 田さんの書かれた内容に感動しただけで、何一つその精神 を行動に移していなかったのです。そして待望の『きっと よくなる2』を発売日に購入し読んでいくうち、貧乏の原 因を突き止めたのです。それが「分かち合い」です。本田 さんは著書の中で「貧乏」という文字の意味を解説されて います。まさに私は「貝」を分かち合っていなかったので した。ちょうど小冊子プレゼントに当選していて5冊の小 冊子を知人に配ったのですが、その行動は今までの私から は考えられないことなのです。良いものは自分で握り締め るという傾向があったからです。その後、毎日良いことを 分かち合っていこうという気持ちで過ぎしていると、いま まで味わったことがない感情が湧いてきたのに驚いている のです。それは感謝です。20年間今の仕事が好きになれ ず、朝目がさめると「ハ~」というため息が」でるという そんなしょぼい毎日がほとんどでした。それが、今では目 覚めもすっきり、今日も命があってうれしいな、仕事に行 けてうれしいな、よし今日も頑張って仕事をするぞという 気持ちになるから不思議です。本田さんは著書の中で、朝 目覚めたときに仕事の同僚など、その日かかわる人に感謝 の思いをもつことの大切さを書いておられますが、それを 実践していることも大きいと思います。今の仕事を好きに なって一生懸命にやっていくうちに、次の扉が開く予感が しています。この続きをまたそのうち投稿できるように頑 張ります。 |